視聴覚室
高校時代、あまりにも面白い洋楽の
某バンドのPVを友達に見せるために、
先生を騙して視聴覚室のビデオで
見ようとみんなで説得したのを思い出したw
『研究のためですよ』
『何の研究?』
『格闘技の研究です』
とかワケのわからないやり取りで
不審に思われつつもなんとか見ることが
出来て、高校の視聴覚室で大爆笑しました。
高校時代、あまりにも面白い洋楽の
某バンドのPVを友達に見せるために、
先生を騙して視聴覚室のビデオで
見ようとみんなで説得したのを思い出したw
『研究のためですよ』
『何の研究?』
『格闘技の研究です』
とかワケのわからないやり取りで
不審に思われつつもなんとか見ることが
出来て、高校の視聴覚室で大爆笑しました。
今朝私鉄の車窓から見えた文字。
飲み屋かなんかの看板に書いて
あったんだけどなんか見覚えある。
不思議な気持ちで調べてみたら、
某バンドの名前で見かけたんだった。
沖縄方言で「縁起がいい・めでたい」
という意味らしい。なるほど、どこででも
見かけるわけだ。沖縄料理屋だったら
結構ありそうな名前なんだね。
何でか知らないけれど頭の中で
『カンフー・チェンはジャッキー・チェンの師匠』
という記憶が残っていたのだけど、
どう考えてもなんかおかしいな、
と自分で疑問だった。
カンフー・チェンという人物(キャラクター?)
が実在するかどうかも定かではない。
そこで、ネットで調べればいいんだということを
思いつき、休日にネットで調べてみた。
なぜ今までネットで調べようと
思わなかったのかも不思議だけれど。
するとカンフー・チェンというキャラクター(実写)
は存在したものの、ジャッキー・チェンのパクリである
邦画の特撮?番組であることがわかった。
どこでどう混同し勘違いしてジャッキー・チェンの
パクリが師匠になってしまったのだろう。
今となってはカンフー・チェンの姿を
思い出すこともなければ番組の内容すら
記憶に残ってはいない。
ネットに書かれている情報や感想を元に
なんとなく輪郭を想像することしか出来なかった。
全く持って困った脳内の謎である。
なかなかいろんな面で自分にとってちょうどいい加減には
ならないものだな。ありがたいことだけど。
予定は結構重なるってのは最近の俺の定説。
人間の気持ちと気候の変化、それから世間一般の
情勢とかそういうものが複雑に絡み合って
そういった重なりが出るのだと思う。
色々と購入予定があって
どうしたもんかと頭を悩ませていたのだが
量販店に向かい、話を聞いて契約内容や
付随してくるサービスなどを聞いていたら
意外とすんなり話がまとまった。
やっぱりネットで調べてるだけじゃダメですね。
現地に出向いて特典などを詳しく聞いたほうが
話が早かった。なんともはや。
あとはとりあえず用意して購入するだけ。
肩透かしを食ったようにすんなり行った。
この前親友の誘いでドライブに行った。
途中親友の旧友や後輩が参加して楽しい夜を過ごせた。
親友の旧友もいろいろと用意してくれるのでありがたい。
親友も率先してみんなを送ってくれたり気を遣ってくれている。
なんだろうな。やっぱり人との繋がりってありがたいなぁって思う。
一人でいると暗闇の中に安心を得るんだけど。
誘ってくれるだけでも非常にありがたい。
結局は満たされはしないんだけどね・・・・。
でも、この恩は心にしっかりと留めておこうと思う。
流れを読んで本質を知るって事はいいことばかりじゃあないな。
あからさまな狙いがわかっているとそんなもんかと呆れ果てる。
慣れてくるとありがたみすらも忘れてしまいこちらの
していることはカウントすらされていなかったり。
隠してみても本質は丸見えなんだけどね。
それだけしか考えてないんだなと改めて確認。
同じことを繰り返してその先には誰もいないし何も無い。
否定したところで現実は変わらないし
認められなくても事実だから仕方が無い。
勝手に覗き込んでる時点で全面的な非が生まれる。
いくら言ってもわからないのだからどうしようもない。
ここにあるのはただのかけらに過ぎない。
見えるものなんてほとんどないのに。
それでも気になって仕方が無いのか?
どうせ勝手に気分を害するだけなのにね。
変わるつもりが無いのなら幸せなんて手に入らない。
その場しのぎの楽しさだけを求めて確実に終わりに近づく。
大切にすることも見つからずただ欲望を満たすだけ。
その程度にしか扱われていないことに諦観と喪失。
それでも結局は元々何も変わることは出来ない。
言葉に反応して憤りを感じるのは、
自分にやましいことがあるから。
嫌なら覗き見なければいいのに。
一体そこで何無駄なことをしているんだい?
エヴァンゲリオンに始まり、スレイヤーズ、涼宮ハルヒの憂鬱、
EDENなど、アニメやラノベに限らず、元は宗教観に至るまで
根幹となるテーマが物語として描かれている。
全てのものはひとつのものから生まれたと言う、
科学で言えばビッグ・バン仮説に当たるテーマ。
そして人間はその根源へと回帰していく。
それは平等に訪れる『死』であったり、
輪廻転生母胎回帰であったり。
精神が到底解明できない力を持っている、
そしてその影響は尋常ならざるものであると言うテーマ。
自分は無神論者なので宗教観を振りかざすつもりは無い。
しかしながら時代を超えて、それこそ科学・空想・宗教・思想に
至るまで、語り口は違うものの、同じテーマが描かれている。
それは
なぜだと思う?
先生の御教授を授かり、擬似独立採算を始めたのだが、
表計算で収支を記録しようと思いExcelを開いてみるも
久しぶりなのでネットで調べて勉強する羽目になった。
理数系は苦手なんだよ・・・と思いながらも、
一度習ったことがあるので記憶を辿るように復習。
自己流ではあるが何とか記録できるように表を作った。
しかしPCと言うのは本当に際限なく覚えることがあるよなぁ。
全てを完璧にこなせる奴はこの世にはいないんだろうな。
IT関連の派遣で働いてる奴に言わせると、言語ですら
種類や世代が違うなら、専門分野以外は覚える
余裕も無いと言うのだから無理なんだろう。
人間はなんてもんを創っちまったんだ(苦笑)
中学時代からの親友を連れて、悪かった具合も
良くなったので、せっかくの連休と言うことで行ってきた。
中学時代からの親友の提案で御茶ノ水から神保町へ。
なんだ、えらい近いじゃんと感心しつつも、久しぶりの
御茶ノ水は通るだけでも充分懐かしかった。
もう何年も行ってなかったからね。
神保町でお目当てのコーヒーを飲んで、グルグルと散策。
夕方になる頃には秋葉原に向かうことにした。
久しぶりの秋葉原もなんだか懐かしく、警備時代に
任されていた店舗にも顔を出した。うーん感慨深い。
神保町から秋葉原に向かう道すがら、音楽仲間の
親友から連絡が入ったので、実家の地元で夕飯を食べる。
次の日は皆仕事なのだけれど、カラオケに行って終了。
おとなしい連休はなんとか実のあるものになった。
引きずり回した中学時代からの親友と
途中参加の音楽仲間の親友に感謝。
あからさまな変更と状況の
材料で予測は出来る。
そればかりしたいのなら、そうすればいいのに。
利用するのは止められないんだね。
その罪は消えないけれど。
はぐらかしたところで、
時間は大幅には変えられないし。
その程度の存在でしか
ないなら、対応はそれなりに。
どんなにごまかしても、結局は
安い趣向。先は見えてるのにね。
ごっこしか出来ないなら、
それも仕方のないこと。
きっと自分がどんな人間かも、
全然わかってないんだろうな。
大切なものは、ここにはない、か。
自分が保守的になったと親友と話をしたのだけれど、
よくよく自分が幼少の頃から10段階ぐらいで
変わって行ってるのかなぁと思ってみたり。
せっかくの連休だからどこか行こうか何をしようかと
思いあぐねいていると、自分が何をしたいのかわからない。
それでも何とかどこへ行こうか大体の目標を立ててみるも、
今度は誰を誘ったらいいのかわからない。と言うよりも
何だかいろんな要因がそれぞれにあって気軽には誘いづらい。
それは俺自身が気にしすぎてるだけなのかもしれないけど。
それでも前だったら・・・・20代前半ぐらいまでだったら、
良くも悪くも相手のことなんて考えずに声をかけていたはずだ。
そういうことを踏まえた上で考えると、やっぱり保守的に
なってしまっているのかなぁと感慨深く思う。
一人で行こうかなとかも考えるのだけれど、どうにも
当日になると一人だったら別に行かなくてもいいかと
思ってしまう。あまり一人の時間に金をかけたくないしね。
そんなこんなで最近は連休になってもそれほど心が躍らない。
以前なら土日なだけでわくわくしたものだけれど。
いろんなものが見えて来て自分なりにでも多少は
気が遣えるようにはなったけれども、なんとなく無意識に
自然に気軽に遊べる友達がいなくなっちゃったのかなぁ。
みんなはいちいちこんなこと考えないのかもしれないけど、
人間関係とか相性とか事情とかに揉まれていると、
どうしても気楽には付き合えなくなってくるよ。
本当の意味で一番好きな趣味を共有できる人もいないし。
あーあ。何やってんだろ俺。せっかく親友の旧友が飲み会
とかやってくれても、やっぱりこんな精神状態じゃ
焼け石に水なんだよな。申し訳なさばかりが先に立つ。
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